F-105's Page
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↑ 1980年8月に撮影されたF-105D/61-0073。一つ上の写真と同じ構図であるが、バックに写り込んでいるのも同じ海兵隊のファントム飛行隊であったVMFA-321ブラックバロンズ。しかし 1978年と比べ、この海兵隊機のマーキングは地味なグレー色に変化している。2年の時間の流れを感じる比較写真になっている。
↑ 1975年5月に撮影されたF-105D/60-0445。胴体左側には、121st TFSのインシグニアが書かれている。
コロンビア特別区、通称ワシントンD.Cの州空軍は、1946年第121戦闘飛行隊を組み入れてメリーランド州のアンドリュース・フィールドで部隊をスタートさせた。当時第二次大戦後間もない頃で、P-47サンダーボルト戦闘機を装備し、コロンビア特別区とメリーランド州南部およびバージニア州北部の広い空域の防空を任務としていたようである。当時の州空軍は、パイロットの殆どが、大戦中から継続して飛行を経験している退役軍人のベテラン連中であり、レギュラーユニットの部隊と比較しても優秀であったと言われる。同隊が、第121戦術戦闘機中隊と改名したのは、1958年にF-86セイバー戦闘機を受領してからで、その後F-100D/Fに機種更新、一度ベトナム戦争に派遣された後、アンドリュースに戻り、1971年からF-105D/F Thunderchiefに機種更新をしている。F-105Dは、大型でしかも取扱いの難しい機体だったが、ベトナム戦争でF-105を扱った事のある帰還兵が州航空隊に多く居た為に運用上の支障もなく活動できたとある。
↑ 1980年8月に撮影されたF-105F/62-4433
↑ 1975年5月に撮影されたF-105F/63-8357。胴体中央のラック下には、爆撃訓練用のディスペンサーが付けられている。本機は、引退後フランスのシャトーで屋外展示されている。
↑ 1973年12月に撮影されたF-105D/60-0445。ベトナム戦争当時の1967年11月本機はスペンス”Sam”アームストロング少佐の乗機として、彼の28回目の出撃でタイとの国境近くのラオスの目標に対し激しい空爆を実施したと記録されている。
↑ 1973年8月に撮影されたF-105D/62-4228。コックピット下のインシグニア(部隊徽)は、第121戦術戦闘機中隊を傘下に置く第113戦術戦闘航空団のもの。後ろに並んでいるのは、グリフィス空軍基地から飛来した49th FISのF-106Aで航空祭の展示のようである。
121th TFS  / D.C ANG
↑ 1973年11月にマックディル空軍基地で撮影されたF-105D/59-1759。ベトナム戦で第388戦術戦闘機航空団や第355戦術戦闘航空団で活躍した生き残りのベテラン機である。本機は1967年11月頃は写真下の60-0445と共にタイのコンラート空軍基地をベースに盛んにラオス方面の敵に対する爆撃行を繰り返していた。当時のパイロットは、クライド・フォールド・ジュニア少佐。
F-105D/F (1971~1982)
↑ 2枚の写真は、1978年6月及びその5年後の1978年12月に撮影されたF-105D/58-1155。特に上の1978年の写真で注目して頂きたいのは、F-105Dの背景に、このアンドリュース基地に同居するNAS ワシントンを本拠地とする海兵隊のファントム部隊VMFA-321の姿が見える事である。尾翼が青く塗られている美しい時期の同隊F-4Nの列線に注目。